わなんれん20周年記念

20年を振り返って

和歌山県難病団体連絡協議会

顧 問      森 田 良 恒

設立の経緯

1980年に生まれた次女は生後まもなく胆道閉鎖症と診断されました。大学病院では「この子は半年で死にます」といわれ、近くの知り合いの医師に当時最も先進的な医療を手がけていた東北大学病院を紹介され、 先生の診断を受け手術をうけました。一時は「この子はもう心配はいらない」と言われるほど回復したものの、その後県内外の病院を転々として1985年5歳になって間もなく肝硬変で亡くなりました。

この間、近県の病院で多くの手術に例のあることを学閥によって患者に必要な情報が教えてもらえなかったこと、手術に関する福祉制度が和歌山県では十分でなかったこと、子どもたちの病気が多岐にわたり、難病で苦しむ家族が多いなかで専門医療機関が少ないことなど、多くのことを学ぶことができました。このような状況の中で、患者やその家族が如何に孤独で不安な闘病生活を送っているとか。

患者会の必要性は私個人のみならず、当事者それぞれが感じていたことでもあるのです。患者同士が情報を共有することの大切さや、同病の患者同士が安心して自分の苦しみや悩みを話すことができる患者会、それが子どもが逝って4年後、 1989年5月の和歌山県難病団体連絡協議会の設立となったのです。

胆道閉鎖症、腎臓透析、子どもの心臓病、脳卒中、ベーチェット病など10疾病団体で発足した会は現在、23団体(会員2250名)となりました。

社会的弱者負担増の20年

①障がい者施策

障がい者施策は長く間、サービスの種類や提供機関を行政決定し、これを措置費で賄う「措置制度」であったのが、2003年4月より障がい者が事業者とサービス契約を結ぶ 「支援費制度」に変わりました。その後わずか3年後には障害者自立支援法が制定され、「応能負担」から、「当事者の収入ではなく、受けたサービスに応じ、支払い負担を一津1割にする」という「応益負担」へと大きく変わり、利用者負担ができず施設を追い出されるという状況が広がっています。

②長期慢性疾患対策

長期慢性疾患患者は、必要な治療と長期の入院期間が必要ですが、1992年には一般病床と区別して「療養型病床群」という制度ができました。言わば「医療が手薄な病床で、一定期間以上入院すると患者の負担が増え、病院の収入が減る」制度で、金のあるなしで医療にに差を付ける制度でもあります。さらに2006年には「療養病床6割削減」という方針が打ち出され、病院にも介護施設にも行けず、家庭に戻れない長期慢性疾患患者があふれ、今病院も患者も悲鳴を上げています。

③難病対策

1972年に始まったこの事業は特定疾患治療研究事業として、難病指定患者は自分の治療情報を治療研究機関に提供することにより、ある意味モルモット代として治療費が公費で負担されてました。この公費には患者のための福祉的側面も含まれていました。

1998年には患者の医療費一部自己負担が始まり、2003年にはこの自己負担額が家族に収入に応じたものとなり、益々患者の負担が増加することになりました。

2006年には難病定義の希少性(5万人以下)を適用し、潰瘍性大腸炎とパーキンソン病患者の多くを難病から除外することが発表されました。しかし当事者や全国の難病患者団体が一斉に反対の声を挙げ、とりあえず厚生労働省も方針を一時停止させることに成功しましたが、なお国は検討中であります。

このように社会的弱者と呼ばれる障がい者施策、長期慢性疾患対策、難病対策の変遷は、いうまでもなく財政効率を優先し、当事者のおかれている状況を全く無視した 日本の社会保障の変革の波に呑まれてきた20年でもあったように思います。

20年の成果

負担増の中では目に見える活動の成果というものは無いかも知れません。 唯一あるとすれば設立以来15年間、和歌山県において延べ20万筆(全国では1200万筆)を超える署名活動を通じて、全国の仲間とともに国会請願で要望し続けた「各県に難病センターを措置」の要望が2003年ようやく予算化され、各県「難病相談支援センター」として実現化したことでしょう。これは長い間「難病相談等は地域の保健所が実施している」として国が認めなかったものです。しかし粘り強い私たち当事者の国会請願活動がついには患者会運営に参加することもできる制度として実を結び、今、各県の名称も実施運営主体も違います、それぞれの地域で活発な活動が展開されています。和歌山県の場合は「県難病・子ども保健相談支援センター」として2006年7月に開所しました。

敢えて最大の成果を言うとすれば、これらのセンターや和歌山県難病団体連絡協議会が地域のインフラとして認知されてきていることではないでしょうか。健康な人がいつ難病の当事者になるかも知れません。難病について相談するところ、同病者の話しが聞け、安心して自分の病気を語れるところ、一人ではない安心感を得られるところ、これこそ最大の成果かも知れません。

課題とお願い

難病患者団体の活動のなかで常に感じてきたことは、国も厚生労働省もさらには国会議員も限られたパイのなかでの議論に終始することであります。しかも地方自治体は特定疾患の過分な負担率が県財政を圧迫し、県単独の難病補助事業も減少の一途をたどっています。その上、国の2200億円の社会保障費削減が追い打ちをかけ、限られたパイの中での予算の取り合いが難病外しの原因ともなっています。

国にお願いします。私たちが求めるのはパイ自体を大きくすること、言い換えれば、無駄を省き、今までの予算慣例にこだわることなく予算枠を組み合えて下さい。

行政にお願いします。道路特定財源問題で行政の首長や担当職員が休日にデモ行進リレーをおこない、「暫定税率が無くなれば福祉や医療に影響が出ます」と本当にそう考えるならば、真の社会的弱者たる当事者を正視した上で、難病患者や障がい者が安心して療養し暮らしている社会実現のための十分な予算確保を訴える、首長や担当者のデモ行進があっても良いのではないかと思うのです。それが公平な行政であると思うのは私だけでしょうか。

私たち患者会は20年を契機として、あらためて「難病患者の医療と福祉をよくすること」をスローガンに、ささやかな歩みであっても一歩ずつ、力を合わせて進んでいきましょう。

最後に和歌山県難病団体連絡協議会会長職にあった20年の永きにわたり、 ご指導ご協力いただいた各方面各位に心から深謝もうし上げます。

わなんれん20周年記念大会

協力団体ご芳名(順不同)

劇団「華岡青洲」 四郷千両太鼓
那賀地方患者・家族会「きほく」会員 神森敦子様